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羊飼いたちへのお告げ

ルカによる福音書2章8-16節(新共同訳)

その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。



クリスマスに読まれるおなじみの聖書箇所です。救い主の御降誕を最初に告げ知らされたのは、貧しい羊飼いたちでした。

ところで、この物語は召し出しのステップを象徴的に描き出してはいないでしょうか。

①「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした」(招き)
召し出しを感じる体験は人それぞれですが、共通しているのはおそらく、神様に惹き付けられるということでしょう。それはたとえば、神様の愛、恵み、いつくしみ、赦し、御恩などを心の底から感じ、もはやそれに何らかの形で答えなければ自分が自分であると言えないというような思いに突き動かされて、この新しい生き方に比べればそれまでの生き方が少し色あせて見えてしまうほどに、大きな光に照らされる体験かもしれません。

②「彼らは非常に恐れた」(恐れ)
神様の大きな光に照らされた時、自分の心が招かれていると感じる新しい生き方に惹き付けられると同時に、ある恐ろしさや不安も感じるはずです。地位や名誉、財産や家庭を築くことへの望みは人間として当然のものでしょう。「自分にそれらを放棄することができるのだろうか…」「こんな自分でふさわしいのだろうか…」

③「あなたがたは、布に包まって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう」(識別)
そして識別の時が始まるでしょう。神様の前にありのままの自分でひざまづきながら、自分のしたいことではなく、神様の望まれることをはっきりと悟ることができるようにと祈り求めます。霊的指導者として司祭やシスターに相談して、識別の道を同伴してもらうことも大きな助けになるでしょう。こうして、ある人はすぐに、ある人はじっくりと時間をかけて、自分に対する神様の望みが何であるのかを識別していきます。

④「さあ、ベツレヘムへ行こう」(応答)
人間は不完全です。不完全な人間には、神様のみ旨を100%識別して悟ることはおそらく不可能でしょう。自分の心に感じる、静かではあるが確かな内的な声が、しかし100%神からのものと言えるのか、その識別は絶対か、完全か……神様から引き離そうとする働きはもしかしたらこのように私たちを突いてくるかもしれません。「あなたの望みを行いたいのです」と祈りながら、最後は主に賭けること。主にすべてをお委ねすることではないでしょうか。「お言葉どおり、この身になりますように」と神のみ旨を受諾なさった聖母マリアは、私たちをを必ず支え、助けてくださることでしょう。


主の招きを感じて、識別するあなたに主の霊が豊かに注がれますように。

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