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イエズス会入会を考えている若者に伝えたいこと

イエズス会入会を考えている若者に伝えたいこと

もし、イエズス会に入会するという考えによって、
不安になったり、心配になったりするならば、
家にとどまっている方がよい。
もし、教会を自分の本当の母としてではなく、
義理の母のようにしか愛せないならば、
私たちのところに来ないほうがよい。
もし、イエズス会に入ることで、
イエズス会に何かをして上げられると考えているならば、
来ない方がよい。
もし、キリストに仕えることがあなたの生活の中心であるならば、
来てください。
もし、広く強い両肩、開かれた魂、幅広い精神、
全世界よりも大きな心を持っているならば、
来てください。
来て下さい。
もし、あなたが冗談を言うことができ、人々とともに笑い、
そしてときには自分自身を笑うことができるならば。

イエズス会元総長 ペドロ・アルペ神父


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イエズス会の養成

イエズス会の養成

一人の若者が司祭として叙階され、人々のために働き出すまでにはかなりの年月を要します。
創立者イグナチオとその同志たちは、自分たちのささやかな会を「イエズスの伴侶」と呼んでいました。
この「イエズスの伴侶」としてのイエズス会の特質は、修練期に始まり第三修練に終わる
長い養成の日々の中で少しずつ受肉されていきます。

以下、イエズス会の養成の諸段階を説明してみます。


修練期 2年
この期間は世間から一時離れ、修練院の中で、自分を見つめ、深く知るための時間を過ごします。
生活の中心は何より祈りであり、イエズス会の会憲、イエズス会の歴史、イグナチオの霊性を学び、
30日間の霊操という過程を経て、主イエスとの親しさを培っていくのです。
こうして神の呼びかけを深く確認し、初誓願を立てます。

哲学期 2~3年
修練期で、イエズス会士としての人格の基礎が作られた後は、それをふさわしく人々への奉仕に
役立てる術を学びます。この期間は「知恵への愛」と呼ばれる哲学、と同時に語学の勉学に集中し、
考察力、体験を深める能力、他者へ伝える能力等を養います。

中間期 1~2年
イエズス会の中・高校で教鞭をとるなどして、実際に使徒職に生きる現場の先輩会員とともに
生活する中で、イエズス会の活動を実体験します。
修練期、哲学期に培ったものが試される期間であると同時に、職場で人々に関わり、仕えていく
という豊かな体験です。

神学期 4年
司祭への準備の最終段階です。自分自身にとって確固たる確信となったイエスとその福音が、
神学の知識によって裏打ちされる期間です。

第三修練 約8ヶ月間(司祭叙階後)
養成の締めくくりとして、司祭叙階後、約8ヶ月間の第三修練を行ないます。
改めてイエズス会について学び、30日間の霊操を行い、現場で人々に奉仕をする中で、
養成中に得た学識、体験が十全に統合されていきます。

ある巡礼者の物語⑦ ~聖イグナチオの生涯~

全世界への派遣

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イエズス会創立の時から、聖イグナチオとその同志たちは、神のより大いなる栄光のために教皇への従順に基づき、全世界のどこへでも派遣されていくために自らを献げました。

このイエズス会精神は今日に至るまで生き続けています。

ある巡礼者の物語⑥ ~聖イグナチオの生涯~

イエズス会の創立 (1540年)

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イグナチオと同志たちは、討議を重ね、新しい修道会を創立することが神のみ旨であることを確信するに至りました。

1540年9月27日教皇パウロ3世はローマにおいて、イグナチオたちの請願を承認する勅書「レジミニ・ミリタンティス・エクレジエ」を発布し、こうしてイエズス会が創立されました。

ある巡礼者の物語⑤ ~聖イグナチオの生涯~

ラ・ストルタの示現(1537年)

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ベネチアとトルコとの間に起こっていた戦争のために、エルサレム巡礼が不可能であることを悟った同志たちは、最初の誓願の時に決めていたとおり、教皇の指示を仰ぐためローマを目指しました。

その途中、ラ・ストルタの小さな聖堂で、イグナチオは、父なる神が自分を十字架を担って歩む御子キリストとともに置いてくださる示現を見、自分たちがキリストの伴侶となってキリストの贖いのみわざを続けるよう呼ばれていることをはっきりと悟りました。

この決定的な体験以来、イグナチオは自分たちのグループの名は「イエズス会」でなければならないと確信するようになりました。

ある巡礼者の物語④ ~聖イグナチオの生涯~

神と人びとに仕えるための学問修行

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厳しい当時の船旅を経て、イグナチオはついに聖地エルサレムへの巡礼を果たしました。

しかし当時の政情のせいでエルサレムに永住することが不可能であり、それは神のみ旨ではないと悟ったイグナチオは、人びとの霊魂を助けるためにはしばらくの間勉学をするのがいいだろう、と考えました。

そこでイグナチオはまずバルセロナで、次いでアルカラサラマンカで、ラテン語や哲学の勉強をしました。

アルカラやサラマンカでイグナチオは、人びとと霊的な話を交わし、霊操を与えたり、キリストの教理を説明したりして、神の栄光のために実りを目指しました。しかし多くの人びとが惹かれ、その噂が広まると、異端審問官たちは、一度ならずイグナチオを牢につないで、彼が神について、また教会の教理について正しく教える能力があるかどうかを厳しく調査しましたが、異端を確認することはできませんでした。

こうしてイグナチオは、人びとの霊魂へのよりよい奉仕のために、パリで哲学と神学を学ぶことを決意し、パリ大学で学士資格を得ました。

パリでは、イグナチオが自分自身のマンレサ時代の霊的体験をもとに作り上げた「霊操」を何人もの人に授け、六人の同志を得ました。イグナチオを含む七人は1534年8月15日にモンマルトルで貞潔、清貧、エルサレム巡礼の誓願を立てました。

この七人の最初の仲間たちの中に日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルもいました。

ある巡礼者の物語③ ~聖イグナチオの生涯~

マンレサの識別

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こうして心の底から神に仕えたいと望むようになったイグナチオは、決心をしてエルサレム巡礼の旅に出発しました。

その途中で、およそ一年の間マンレサに滞在したイグナチオは、まず司祭にこれまでのすべての罪を告白しようとしました。が、すべての罪を告白したかどうかには常に不安が付きまとい、大きな「良心の疑悩」に長い間悩まされることになりました。

しかし、マンレサの洞窟の中での数々の血のにじむような祈りの体験を通して、イグナチオは、人々に奉仕することを神がどれほど望んでおられるかをますます感じるようになりました。

世俗を捨てる固い決意からのばし放題にしていた髪の毛や爪をきれいに手入れし、その他のいろいろな行き過ぎを止めました。「苦行の騎士」から「使徒的な騎士」へ「自己中心的な存在」から「キリスト中心的な存在」へと変わっていったのです。

またこの時期に、三位一体、天地創造、御聖体のうちなるキリストなどの神秘を示現の形で深く悟り、心の目が開かれる体験をしました。

ある巡礼者の物語② ~聖イグナチオの生涯~

回復期の出来事

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数度にわたる苛酷な手術の後、ロヨラで回復を待っている間、イグナチオは時間つぶしに好きだった騎士道物語を読もうとしましたが、そこにはそのような本が一冊もなく、結局、『キリストの生涯』『聖人の華(黄金伝説)』の二冊が彼に与えられました。

この二冊の本を読み進めていくうち、彼は自分の心にある変化が起こっているのを感じました。

この世の王様に仕えて武勲を立て、高貴な美しい婦人の心を手に入れたいという願望は、これを考えている間は大きな楽しみを感じるのに、それをやめるととたんにうら寂しい感じがして不満が襲ってくるのに対して、永遠の王である神様に仕えて、はだしでエルサレムに巡礼するとか、聖人伝で読んだ聖人たちのいろいろな苦業を自分もしようという願望は、これを考えている間だけでなく、考えるのをやめた後も、心の中に慰め満足感が続くことが分かってきたのです。

このようにして少しずつイグナチオは、自分を神へと向かわせる働き神から引き離す働きをわきまえる、霊動弁別の方法を身につけていきました。

ある巡礼者の物語① ~聖イグナチオの生涯~

パンプローナの戦い

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1491年に、聖イグナチオ・デ・ロヨラはスペイン・バスク地方のロヨラ城で生まれました。

カスティーリヤ王国の財務官であったホアン・ベラスケスの小姓となり、宮廷生活を送っていたイグナチオでしたが、1521年のパンプローナの戦いで指揮中に砲弾が足に当たって重傷を負いました。

イグナチオが倒れた直後に味方はフランス軍の前に降伏しましたが、フランス軍はその天晴れな戦いぶりのために負傷したイグナチオを手厚く扱いました。こうしてイグナチオは担架に乗せられ故郷のロヨラに送り返されました。

イエズス会とは?

イエズス会とは?

カトリックイエズス会(Societas Iesu/Society of Jesus) は、イグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)を中心に、日本に初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエル(1506‐1552)ら7人の同士によって1540年に設立された、カトリックの男子修道会です。

イエズス会は、1549年のフランシスコ・ザビエルの来日と同時に、わが国でキリスト教の宣教を開始し、徳川幕府の厳しい禁教政策によって活動が不可能になるまで、日本の教会の発展に努めました。

近代に入り、明治政府がキリスト教の宣教を解禁して間もない1908年に、再来日をしました。
再来日したイエズス会は、まず教皇ピウス10世の意向に応えて東京に上智大学を設立しました。以後、兵庫・神奈川・広島・福岡中学・高校の教育活動を展開するとともに、広島にエリザベト音楽大学を創立。あわせて教会における宣教・司牧をはじめ、 祈りや黙想の手助け社会活動など、多岐にわたる使徒職に当たっています。

イエズス会は、国際的な使徒的活動を行なう宣教修道会として、全世界に約2万人の会員を擁し、宣教司牧・教育研究・祈りと黙想の手助け・著述・出版など、現代世界に福音をもたらすために、多岐にわたる奉仕に取り組んでいます。


イエズス会員であるとは何を意味するのか。それは罪人でありながら、イグナチオのようにイエズスの伴侶として招かれているのを知ることである。
今日イエズスの伴侶であるということは、どのようなことか。それは十字架の旗のもとに、現代の重大な戦い、つまり信仰と、信仰に含まれている正義のための戦いに従事することである。

イエズス会第32総会第2教令


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